Thirsty Thirty

生活、ときどきオタク

『彼』が『彼』と出会った理由の話

夏になってきたのでごはん代わりにミゾタクに負けないぐらいアイスを食べているわたしですこんばんは。学生時代は『夏バテなんて言葉わたしの辞書にない』とか言いながらBBQするような人間だったのに大人になったら毎年夏バテする人間になりました。これが…退化…...!さて、今回もお題をいただきましたありがとうございます!

何故このキャラをこの役者が演じることになったのか? 海さんはどう考えますか?

わたしは『与えられたものを特に疑いなく受け入れる』タイプの人間なのであんまりこういうことを考えたことがなかったのですが笑、確かにどうして彼らが『彼ら』に出会ったのかな、ということを考えるとやっぱり興味深いし、気になるなあと思いました。色々と書き連ねてみる中で自分の知っている情報だけで書くと認識のズレが発生するかもしれないのですが、という前置きがあった上で読んでいただけると嬉しいです。

オーディションが一昨年の夏に行われたというのはあちこちの情報で既に出ていて、なおかつ『オーディションであった』ということも本人たちが言っていますが、『役ありき』だったのかそうでなかったのかは覚えている限りでは明言されたことがなかったと思います。さらに、『○○役でオーディションを受けた』という内容のことも聞いたことがない。なのであくまでも想像ですが、私は『ある程度絞ってから、それぞれの役に当てはめる形で選出した』のではないかなと思います。絞るというのは3次元的な意味で、ビジュアル、ダンス、歌、あとは年齢のバランスだったり身長のバランスだったり。そこで少なくともリアドリを構成する5人が決まって、それぞれの役に当てはめていったんじゃないかなあ、と思います。

ここで一つ気になったのは、かおるくんが選出された一般向けのオーディションの要項では『複数名募集』という記載があったことです。ということはつまり、いい逸材がいればそこから複数人リアドリに選出されていたかもしれないということであって、必ずしも事務所内からも選出されると決まっていたわけじゃなかったのかもしれないんですよね。ここに気付くまで、何となくだけど私は『一般向けからのオーディションからは元々1人だけ採用するつもりだったのかな~』と思ってたんですが意外とそうでもなかったらしい。ただ、かおるくんが1人ラジオ回で言ってるのを聞く限りでは最終選考に残ったのは4人だったそうなので、選考の段階である程度絞って、採るとしても2人くらいだったのかなあとか推測しています。そう考えると、本当に今のリアドリって奇跡的な確率で組み合わさってるんだな...。

そしてリアドリがどのようにディアドリに決まっていったか、というところですが、まずは『キャラクターにあった声質かどうか』を一番に見たんだろうなあ、と思います。極論だけど、チヅみたいな天真爛漫なキャラクターを慎さまのような低い声で演じるのでは全然印象が違うし。その辺りは監督や加藤さんも含めて『どんなアニメに、どんなキャラクターにしたいのか』という考えのもとで決まって行ったんじゃないかなあと思います。とは言え、一定まで人数が絞られた中で『○○役の候補として選考に残す』というのはある程度考慮されてたんじゃないかな。

あとは、これはかなりの推測になるけれど、アニメありきで考えられていたのだとしたら、『その役を演じ切れるかどうか』を見られていたんじゃないかな、とも思います。特に純哉くんと奏。奏はまあ言わずもがなとして、純哉くんはその奏に突っかかっていったりぶつかったり、けれど時には背中を押したりするというある種一番近いところにいる人で、その分自然とセリフだったり求められる演技のバリエーションが多くなる。さらに、10話では自分自身が迷うという、本当に求められる『幅』が広い役だったんですよね。じゃあ他の3人がそうではなかったかというと決してそんなことはなくて、全員が全員何かに悩んで、立ち止まって、もがく姿がアニメでは描かれていた。それを演技だけではなくて、変な言い方をすれば『自分と同一化させられる』かどうか、というところまで見られて考えていたんじゃないかな、と思います。

ここで一つ掘り下げたいのは、『奏』という役です。奏は、三神さんにスカウトされたことで1人だけ遅れて事務所に入る、ある意味ルーキーのような存在です。そしてアニメ1期はその奏が、元々いた慎、純哉、いつき、チヅの背中をそれぞれ押して、一歩踏み出すきっかけを与える話だった。奏自体はそんな大それたことをしようという意図はまったくないけれど、その『まっすぐさ』が周りを動かした、という話だったとも思います。じゃあ、その奏はあの5人の中で誰が演じるべきだったのでしょうか。結論から言えば、誂えたようにも見えるけれど、結果論かもしれないけれど、わたしはやっぱりそーまくん以外に考えられなかったんじゃないだろうかと思います。

ここ何回か同じようなことばかり書いているような気がしますが笑、奏がそーまくんに決まった理由の一つとしては彼の『キャリアの浅さ』が鍵になっていたのではないかとどうしてもわたしは思ってしまいます。オーディションを受けた時点では舞台経験も演技経験もほとんど無くて、それどころか芸能活動を始めたばかりと言ってもおかしくないくらいのキャリアだった。そしてそれが、アニメにおける奏の姿に重なったんじゃないかな、と思うのです。キャリアが浅い、まだまだこれから!という彼だからこそ、周りを感化して少しずつ動かしていく『奏』というキャラクターに当てはまるんじゃないかな、と。奏ほど天真爛漫で元気いっぱい!ってキャラかと言われれば必ずしもそうではないかもしれないけれど、監督や加藤さんが言うところの『オーディションの頃から目をキラキラさせながら踊っていた』というところからすると、逆に奏以外の役は当てはまらないんじゃないかなあ、とすら思います。

そうすると、そこで一つの疑問が浮かんできます。それは『まったく同じ、ともすればそーまくんよりキャリアが浅いかおるくんではダメだったのか』ということです。持論になりますが、わたしはそれではダメだったんだと思うのです。それはなぜか。彼をセンターに、奏に据えてしまうと、『ストーリーが出来過ぎてしまうから』です。確かに、かおるくんを奏役に据えた方がPRJ的には面白かったのかもしれません。ぽんと入ってきたルーキー、センターを、オーディションで選出された芸能活動をまったくやったことのない子が演じる。彼が努力して、成長して、どんどん大きくなっていく姿を目の当たりにすれば、ファンは応援したくなったことでしょう。

じゃあ、そうしてしまった時に起こる弊害は何か。想像できるのは『偏り』です。奏役のあの子、オーディションで選ばれた新人なんだって!という事実が先行してしまう。そうなった時に、このPRJがターゲットとしている20~30代の女性はどう感じるかというと、PRJの狙い通り『頑張ってほしい!』というある種母性本能にも近いような気持ちを持つのではないでしょうか。そうなるとどうなるか。5人いるうちの『1人にだけ』思い入れが偏ってしまう、という事態が起こってしまいかねない。さらに言えば、『何であの子だけスポットが当たるの?』という『1人』以外を応援したい人との間に、場合によっては対立の構図が生まれかねない。それって、『応援』がキーワードになっているこのPRJの趣旨にはちょっとそぐわないんじゃないかな、と思うのです。なんとなくなんですけどドリフェスというPRJを好きな方っていわゆる『箱推し』がとても多いように見えるんですね。それはもちろんリアドリ5人とリアフネ2人の努力の結果だし、彼らの魅力の鏡でもあると思うけど、もし誰か1人が特別なストーリー性を持っていたら、今のような環境にはなかったんじゃないかなあ、と思います。

『応援は公平でならねばならない』と言うつもりは全く無いし、複数人いれば人気が偏ることは時として起こることだということも、スタッフもファンも本人たちも分かっている。けれど、結果論かもしれないけれど、その『偏り』を最初から生み出すような仕組みを作らなかったところが個人的にはすごく好きです。これを書きながらつくづく思ったのだけれど、このPRJはいい意味でとても『フラット』にできているなと思います、誰かが歌う曲だけが飛びぬけて多いとか、ライブやアニメでも誰かの出番だけが多い・少ないというのが無いから(あーーだから今のシャッフルユニット投票制あんまり評判良くないのかな…と今勝手に納得がいってしまった)

とは言え、今の7人のバランスとか2次元・3次元それぞれの役割みたいなものを見てると本当に『なるべくしてなった』役だなあと思います。散々このブログでも言ってるんですが、とにかくどんな組み合わせになっても予想しなかったような化学反応が起きるのが見ていて楽しいしワクワクする。『応援』を主軸に置いたPRJだからこそ応援したくなる、させたくなるような仕掛けがいっぱいあって、次はどうなるんだろう、どんな景色を見せてくれるんだろう、と考えられるのが楽しいなあと思える。ある意味『唯一無二』なPRJだなあ、としみじみ思ったところでこの話を終わります。お題ありがとうございました!