Thirsty Thirty

生活、ときどきオタク

『響くもの』の話

こんばんは、気付けばファンミが来週に迫ってきていて若干焦ってきたわたしです。え…?ていうかファンミ02からもう半年以上経ってんの…??またアフレコする?回数を重ねるごとにDDerに求められる演技力がどんどん高くなってきていて笑うあのアフレコする???(※好き) さて、今回もお題をいただきましたどうもありがとうございます!

今回、ご意見を伺いたいのは「DearDream、KUROFUNEの歌はなぜ届くのか」です。
もともと自分がアイドル好きというわけではないのでアイドルの歌をあまり知らない、ということもあるでしょうが、アイドルの歌は、コンセプトに沿って歌わせられているものであり、歌はアイドルの魅力を際立たせる道具にすぎないと思っていました。この人がこんな詞や曲で歌っている(踊っている)というシチュエーションにときめいたり、切なくなったり、ライブが盛り上がったりはあっても、歌はしょせん表面を通り過ぎていくだけ。本当に歌が芯まで届くのは、自分で作り歌うアーティストが奏でる場合しかないって、アーティストの歌もアイドルの歌も少ないながらも両方聴いて思っていました。

ところがです。DearDreamもKUROFUNEも、明らかにコンセプトやストーリーに合わせて作られた歌を歌わせられているにも関わらず、確実に奥のほうに触れてくる。1番好きなアーティストの歌は、歌があきらかに質量を持って心のど真ん中にぶつかってくるイメージなんですが、DearDreamはそうじゃなくてもっと柔らかい、ナウシカ王蟲の金色のアレみたいなものに、いつのまにか包まれてる感じで。KUROFUNEはまたちょっと違うんですが。
とにかく、しっかり届けてくれてると感じるんです。ちゃんと彼らの歌として。

これは、なんなんでしょうか。ご意見聞かせていただけると嬉しいです。

なるほど、これわたしも分かります。自分で歌詞や曲を作れるわけでもない人間が言うとすごくアレに見えるんですが、わたしは『自分で歌詞や曲を作ってこそ"アーティスト"と名乗れる』と常々思っていたし、今もその考えは根本的に変わっていないと思います。けれど『そうでない』人、つまりアイドルや他者の作った曲を歌う人たちを見て、好きになって分かったことは『歌いこなす』こともまた一つの才能であり努力の結果なんじゃないかな、ということです。ただインプットするのは、上っ面だけ流して、さらりと撫でるように知ったかぶりをするのはとても簡単です。けれど、与えられたものを噛み砕いて、自分のものにするためには大きな努力が必要だと思うのです。どうしたら伝わるのか、どう言えば自分以外の誰かの心に届くのか、それを考えるということ自体を考えるだけで息切れがするほどしんどい作業なんじゃないかなとも思います。

わたしはドリフェス以外のいわゆるアイドルアプリをやっていないので他と比較することはできないのですが、ディアドリやクロフネの歌は確かにこの方のおっしゃる通り『コンセプトやストーリーに合わせて作られた歌を歌わせられている』ものだと思います。40曲と少しある彼らの曲の中には特にストーリー性の強いものもあるし、彼らのバックグラウンドがあるからこそ意味を持ったものもある。けれど、確かに意味を持って、聞く人の心に響く何かがある。うまく言えないけれど、わたしは『コンセプトやストーリーに合わせて作られた歌を歌っている』からなのではないかなと思っています。1曲ごとに意味を持っているものもあれば、対になるようにして意味を持っているものもある。どの曲の根底にもドリフェスのコンセプトがきちんと流れているうえで、それぞれの曲に『意味』と『ストーリー』があるからこそ、響くのではないかと思います。

わたしは基本的にドリフェスの曲はどれも好きなのですが、特に好きなのがRのEDテーマ、All for Smile!の歌詞の一節です。『『絶対にみんなをもっと高く遠くまで連れてゆく』根拠のない言葉も今は確信になった』というサビの部分ですが、これって今年の1stLiveでそーまくんが語った言葉そのものなんですよね。うまく言える気がしないのですが、ディアドリとリアドリ、クロフネとリアフネはそれぞれ表裏一体でもあり、だけど二人三脚でもある。7人であり、14人でもある。それぞれの言葉が、経験や感情が、もう片方に取り入れられて、だからこそDDerが見た時にとても『統一されている』と感じるしすごいなと思うんじゃないかな、と思っています。わたしはリアドリから入ったのでどうしても視点が彼ら5人に置かれてしまう傾向にあると自覚しているんですが、彼らの発する言葉を周りの人たちがしっかりと見ていて、覚えていて、それがとてもいい形で反映されている。だから、ドリフェス!というPRJをトータル的に見た時に『ああ、あの時のあの言葉だな』というのが違和感なくスッと入ってくるし、みんなが理解できる。本人たち自身が歌詞や曲を作っていなくても、こんな風に一貫しているPRJだからこそきちんとこちらに伝わってくるんじゃないかな、と思うのです。

そしてもう一つの理由は、彼らが曲に、そしてこのPRJにとても真摯に向き合っているということをわたしたちが知っているからなんじゃないかと思います。少し話は逸れますが、わたしは48Gが元々とても好きで、彼女らを好きになった理由の一つに『裏側を見せるアイドルだったから』ということが挙げられます。ドキュメンタリー映画や番組、インタビューやブログで彼女たちが悩んだり泣いたりするところを見て好きになって、応援するに至った。ディアドリやクロフネは彼女らのように『裏側』を遠慮なく映し出すということはしないけれど、それでもこのPRJが発足して丸2年になろうという今になってあの時は…という話がぽろぽろ出てくるようになりました。その中には、『ダンスと歌を同時にこなすのに必死だった』とか『最初は歌っている風景が見えなくて怒られた』と言うような、『キレイな面だけを見せる』アイドルなら本来言わなくていいようなこともたくさん含まれています。ブルーレイには彼らが真剣なまなざしでレッスンを受けているところも、『どうしたらもっとうまく魅せられるか?』と考えているところも映し出されています。そういう『裏側』を見ているからこそ、彼らが生半可な気持ちでこのPRJに挑んでいたわけじゃないということが伝わってくるからこそ、彼らが生み出してきたものがファンに響くんじゃないかな、と思います。

また少し話は逸れますが、今年の頭くらいまでわたしはずっと『彼らはこのPRJを本当に楽しめているのだろうか』と心配していました。劇プレ組は本公演にも出られていない、ミゾタクやトミーはそれまで軸足を置いていた演技の仕事をセーブしている、クロフネはまったくの畑違いの仕事、という状況で、このPRJに関わったことを良しとしているのだろうか、と。今考えれば失礼極まりないなと思うしこちらの勝手な杞憂だと理解できるのですが、それくらいこのドリフェスというPRJは彼らのキャリアの中で『特異』なものだと映っていました。それが払拭されたのは、特にこの半年くらいで彼らがいかにこのPRJを大切に思っているかを彼ら自身で表現し、体現してきたからなんじゃないかと思います。二度目の全国行脚、1stLive、Rのアフレコ、上海やおれサマーといった外でのライブ、リリイベ…。ドリフェスだけでこれだけの仕事をこなしながら、全員が何らかの『外仕事』をしていました。去年がドリフェスの素地を作るために他をセーブしていた年なのだとしたら、今年はそこで作った地面を力強く踏みしめてジャンプする年なんじゃないかと思います。そして、そんな風にして『ドリフェスというPRJ』がいかに大切な場所か、ある種の『ホーム』であるかを彼らが作り上げていく様を目にしているからこそ、彼らが生み出す『何か』はまっすぐに心に響くんじゃないかと思うのです。彼らが大事にしている場所から生み出されるものだからこそ、しっかりと響くのではないかと。

多少の贔屓目が入っているのは承知なのですが、彼らはこのドリフェス!というPRJに対してとても『真摯』だと思います。それと同時に、何らかの『覚悟』を抱いているのではないだろうかということも伝わってきます。年齢的には決して若すぎるわけではないし、キャリアとしては他の声優さんに比べればまだまだ、けれど1期を経験した今となっては『新人だから』という言い訳はもう通用しない。まさにRで描かれている状況と同じでデビューという大きな壁を一つ乗り越えたからこそ次のフェーズに立ち向かわないといけないし、そこで『成長した』ということを証明しないといけない。そんな中で『彼らの歌は響く』という思いをたった1人でもファンが抱いたのなら、それは彼らが成長した証明の1つなんじゃないかと思います。『応援』がキーワードになっているPRJだからこそ応援したくなるような仕掛けはたくさん転がっていて、どれか一つでも心の琴線に引っかかったらそこからはいろんな世界が広がっているのがこのPRJです。そんな中で、彼らが歌う歌が『ちゃんと』届いていたのなら、それもまた彼らの武器になるんだろうな、というところでこのお話を終わります。お題どうもありがとうございました!(うまく答えられていなかったらすみません…!)