Thirsty Thirty

生活、ときどきオタク

『シナリオ』の話

KUROFUNEの『シナリオ』がとても好きだ。KUROFUNEのオリジナル曲は割とどれもまんべんなく好きなのだけれど、その中でこの曲は少し特異な1曲であると思っていて、それは、オリジナルの中で唯一『2人で作った曲ではない』というところが大きいのではないだろうか、とわたしは推測している。

この曲は、『勇人が圭吾に出会う前から歌っていた歌』だと作中でも明言されている。1期7話、勇人がTOKYO HEAVENS ROCKでソロで歌っているのがこの曲だというところから既に明らかで、ということはデビュー前には『カタチ』として出来上がっていたものだということがわかる。そして、(デビュー後に変わっていなければ、の話だけれど)歌詞はこの頃にはもう今の形として出来上がっていた。にも関わらず、この曲はとても『KUROFUNEっぽい』のだ。

1番は、そっくりそのまま勇人に当てはまると感じている。『予定調和』は7話の頭で彼に投げかけられていた言葉がそれなのかなあと思っていて、そりゃ揺れるだろ、こんな小せえハコ、がその答えだったのではないかなと。勇人がライブを成功させる、ファンを熱狂させる『予定調和』がそこにあって、けれどきっと彼は満足していなかったんだろうな。『結果論』、彼がステージに立てばいつだって成功する、観客を満足させるというある種美しい『文脈』が出来上がっていていて、けれどそれを勇人は『誰が書いたのかもわからない筋書き』と斬って捨ててしまっているように見える。

それは繰り返されるサビにも通じていて、全て『上辺』と歌われていて、彼は彼の人生を『演じている』に過ぎなかったのだ。親からの医者になれというプレッシャーだったり、鬱屈したような『与えられている今』という生活を。家出して、リョウとの別れを経験して、そこからどういう経緯で日本に帰ってきてライブハウスに立つに至ったかは分からないけれど、きっとその、ライブハウスに立っている瞬間ですら彼にとっては物足りない時間だったのではないかと思う。自分の声はまだリョウに届かず、音楽を世界に届けるという夢にも届かず、閉塞感があったのではないか、と。

そして一方で、二番はまるまる圭吾に当てはまる。『息苦しい現状』だと分かっていながら彼はそれに『甘えて』いて、20:32から止まっていた時間を息苦しいと知っていながらも、だから仕方ない、一歩踏み出せないのはしょうがない、と『許されるための許可を待って』いる。そして『舞台の幕が上がるのを恐れ』ている。この『舞台』という言葉には、言葉そのものの『かつて圭吾がいた場所』の意と、『人生』の意があるのではないかと思うのだ。自分が掴み取れなかった(、そしてそれを掴み取った親友が立つ)舞台の幕が上がるのは、そりゃあ怖いだろう。そこに立つ人が輝けば輝くほど、そして評価されればされるほど、『そこに立てなかった自分』が惨めになるから。そして、傷ついてしまった自分が生きていく『人生』が、そこからまた始まってしまうことを恐れている。きっと、何もない(なかった)のだ。『台詞もなく立っている』だけ、と思ってしまうほどに。自分の人生が、まるで誰かの作った舞台ようだと感じてしまうほどに。

『薄ら笑いも浮かべずに』いたのは、勇人と出会った頃の圭吾の姿にそっくりそのまま当てはまる。殴られても抵抗することもなくされるがままで、勇人にコンビを組もうと言われてもただそれを否定するだけ。きっと、彼自身の人生を彼自身がシャットダウンしていたのだろう、外部から。かつて表舞台に、眩しい世界に立っていたはずの彼に、そんな姿を知るはずもない勇人は問いかけるのだ、『何故、有象無象引き受けるんだ』と。『命を感じる感覚はそこにない』と叱りながら。そこ、は、圭吾がいた暗闇の中。お前はそこにいて命を感じられるのか、有象無象となって、そんなところにうずくまってていいのか、と。

けれど、これは勇人にも言えることなのだ。そこにいて命を感じられるのか、有象無象となっていていいのか、それで音楽を世界に届けられるのか。全部答えはNOで、勇人自身はその答えを知っていて、けれどきっとその時にはまだどうすることもできずにいた。鬱屈した、もやもやした気持ちを歌詞にぶつけるしか方法がなかったのではないかと思わせる。

そして、クライマックスに向けて彼らは高らかに歌い上げる。『舞台はもう幕を開けた』と。それまで歌われてきた『誰が書いたのかも解らない筋書き』ではなく、『演じるならその手で書いたシナリオを声にしてみろ』と。

この曲は、決意の曲ではないとわたしは思う。導きの曲、だと思っている。新しい扉を開いて、行くも行かないもお前たち次第だ、と、『右往左往してみればいい』と、未来の2人が歌っているような曲。繰り返すけれど、この歌詞を書いている勇人がそんな未来を知っているわけでもなく、この曲を書いた時点では圭吾に出会ってすらいないから、本当なら自分、もしくは知らない誰かに向けて書かれた曲でしかないのだ。けれど、その「知らない誰か」に、彼は数年先で出会う。それも含めて、導きの曲、だと。

『何がほしい?』『なんでそんな風に振る舞うんだ?』『どうして生きているんだ?』と、この曲にはいろいろな問いかけがある。そして、迷っていた頃の2人には、どの質問もきれいな答えを返せるような問いではない。心の中にくすぶっているものの発散のさせ方も分からず、答えのない問いかけをただ繰り返しているだけの、小さな自分という世界の中で作られた曲。けれど、どの歌詞もひどく愛おしく、それを『今の彼ら』が歌うからこそ意味のある曲なのではないか、と改めて思うのだ。

『命』という言葉が何度もこの曲には出てくる。いちアイドルが歌うには、少しばかり重い言葉、重いテーマではないかとも思ってしまう。けれど、「歌うことが命」だと思わせるような勇人が書いた歌詞だからこそ、ひどく大きな意味を持つのだな、と今回改めてこの曲を聞いて実感したのだ。隠れた名曲、というには隠れてなさすぎるのだけれど、わたしはやっぱりこの曲が好きだ。