Thirsty Thirty

生活、ときどきオタク

わたしの決意の話

ドリフェス!の区切りを示された地獄のような3月5日から、早3日。最初は夜明け前の一番暗い、冬の朝4時の空みたいだったわたしのTLも少しずつ夜が明けてきたような感じがしています。悲しんでいる人も、落ち込んでいる人も、声を上げようとしている人も、少しずつ自分の中で『折り合い』をつけて、あるいは何らかの形で言語化して、もう一度立ち上がろうとしているようにわたしには見えます。もちろん、まだひざを抱えてうずくまっている人もいるんだと思うし、もちろんそれでいいのだと思っています。大好きなものを急に取り上げられそうになって冷静でいろっていうほうがよほど無理な話。

わたしはと言えば、月曜にあんな通告を突きつけられて目の前も頭も真っ白になったくせに『終わる時は笑顔で別れを告げたい』などと言い物分かりの良いファン発言をしていました。もちろんそれは嘘ではなく、当然本心で、今だってそう思っています。けれど火曜、早出で仕事をしながら働いて、上からむちゃくちゃなことを言われていっぱいいっぱいになり、普段だったら歯牙にもかけないようなことにいちいち苛立つくらい心がささくれ立っていて、ああこれはきっと爆弾低気圧のせいだけじゃない、『大切なものがなくなるかもしれない』という恐怖のせいだ、とそこでやっと向き合いました。それでも『区切りをつけると言ってるんだから受け入れるしかないんだ』なんて言い聞かせて、思い込もうとしていました。
自分の話ですが、わたしは元々変なところでドライで、誰かが決めたことに反発はしても変えたいと、変えようと動いたことはありませんでした。自分がそれに納得行かなかったら、黙って離れていくだけ。誰かを変えることはできないと知っているから、だったら自分が変わるしかないと思っていました。だって、そっちの方が楽だから。好きだったものを自分の意志で嫌いになれば、『自分の選んだ道だから』と納得するから。

火曜の夜、村野監督がドリフェスのこの区切りについてツイートしていました。

ちょうどお風呂から上がって、髪を乾かしている時でした。まだまだリアルタイムにつぶやかれていて、ずっと画面をスクロールしながら、大泣きしました。それと同時に、このタイミングで終わることは決して『既定路線』では無かったのだろうな、とも感じました。

仕事だってなんだって、PRJにはいつか終わりが来ます。例に漏れずドリフェスだってきっとそうでしょう、いつまでも半永久的に続くこと、続けることはいくらなんでも無謀だし、難しいのではないかな、と今も思っています。すごくうがった見方をすれば、『全員』が同じ思いでなければそれは叶わないだろうし、叶ってはいけないんじゃないだろうか、とも思うのです。

わたしはどちらかと言うと3次元の彼らを応援する比重が高くて、アプリやDCDにはあまり深くはまり込んではいませんでした。色んな人のブログや『私とドリフェス』について書かれた文章を読んでいると本当に恥ずかしくなるくらいで、正直言って課金もそこまでしていません。そういう点では、すごくバランスの悪いDDerだと思います。
けれど、だからと言ってじゃあ3次元だけ続けばいいの?って聞かれるとYESとは言えない。彼らは『5次元アイドル応援プロジェクト』だから。どちらかだけが続く、というのは、もう片方を置いてけぼりにしてしまうことなんだと思うのです。それは違うよね、だって彼らは『役』じゃなくて『as』なんだもんね、と。

じゃあ、このままドリフェスが終わってもいいのかと聞かれたらこれも違う、絶対に違う。わたしは本当にDearDreamが、KUROFUNEが好きだし、彼らがファンを楽しませようとする姿や明日に連れて行ってあげる!と声を張り上げる姿に何度だって力をもらってきました。発表があってから、悲しくなると思って彼らの曲や映像を避けようとしたら何を聞けば、見ればいいのか迷ってしまう。それくらい彼らはわたしの生活にこの2年半たくさん入り込んでいたのだな、とこの段になって改めて気づいてしまったのです。近くにありすぎるものは、失ってしまうかもしれないと気づいて初めてその大切さに気づくといいますが、まさにそれ。ほんまそれ!(CV.推し)

でもさ、とわたしを止めるのは、彼らがもともとは役者さんである、ということでもあります。この2年半、彼らはこのPRJに大きな比重を置いてきたように見えます。舞台の出演も以前に比べたら減ったなあと思うし、本人たちが『家族よりも会ってた』と言うくらい毎日DDとして活動していたんだなあ、ということも分かります。
けれど、じゃあ、ずっとそれでいいのかな、とも思ったのです。お芝居したい人もいるだろうし、映像に出たい人もいる。歌って踊りたい人もいるし、声のお仕事をしたいと思う人もいるんじゃないだろうか、その時に、DDの比重がずっと大きくていいの?と、思ってしまったのです。わたしが『まだこのPRJを続けてほしい』と思うことはただのエゴなんじゃないだろうか、と。そう思っていた時に見たツイートがこれでした。

わたしは、彼は『お芝居をしたい』人なのだと思っていました。お芝居がきっかけでこの世界に入って、劇団に所属していてそれなりにいい役を勝ち取っている。一方でダンスもうまくて、ライブでソロパートをもらうくらいの技量もある。だから、変な話かもしれないけれど『歌』のプライオリティは低いのだとばかり思っていました。わたしの見る目がなかった、観察力が鈍すぎた、と言われれば本当にそれまでだし、DDになる前のことを知らないからそう思ってるだけなのかもしれないけれど。
ああ、でも確かにさあ、去年のチヅ誕で『いつかWMSKでライブハウスツアーとかしたいね!』なんて言ってたね、いつだってハモる側だし、フェイクだってツアーでたくさん入れてたわ。そうだね、やっぱり君は歌が好きな人なんだな、と思ってしまう。

あくまでもこんなもの、ただのファンの1人の見方でしかないけれど、いつかは終わるかもしれないけれど、ねえ、やっぱりそれは『今』じゃないでしょう。武道館は嬉しい。アルバムも、Blu-rayが2枚も出るのも嬉しい。本人たちがこのPRJを続けたいと思ってるかなんて分からないし、もしかしたら俳優業を主にしたいと思ってる人がいたって何ら不思議じゃないし、もしそうだとしても何なの!って怒ったりも幻滅したりもしない。上目線な意見でごめんな、でも本心だ。けれど、『区切りをつける』なんて言ったって、それは今じゃない。

物事にはタイミングがあるし、理想論だけでビジネスが続かないことも知っている。当初想定していた数字を達成したからなのか、もしくは届いていなかったからなのか、そのどちらかなんだろうことも知っている。けれど、どちらも『理解』はできない。感情で物事が動かないことは重々承知だけど、彼らのこれまでの言葉や、曲や歌詞に散りばめられた感情や、彼らがこのPRJに賭けてきた想いを知ってしまったから、やっぱり『今』終わるべきじゃないと痛感している。

いろんなしがらみがあるのも知ってる。決してマイナスな感情だけでない、『分かってるれどどうしようもないよね』って思いがあるだろうことも、見ていたら分かる。例えばこれで変に延命措置されたらファンが二分するかもしれないことも薄々気づいてる。けどさあ、やっぱり『今』じゃないよ。1stLIVEが終わったら次は2ndでしょう。1stツアーがパシフィコ満員で終わったなら次は2ndファイナルを武道館でやりましょうよ。もっともっとたくさんの経験値を積んで、DDKFもDDerもクロフネの男も女もやりきるだけやって、出し切るだけ出し切って、ああもう送れるエールは全部送りきったわ!って思える光景まで来たら、終わりにしようよ。

彼らは『区切り』という言葉を使いました。『終わり』じゃないよ、と言ってくれているのかもしれません。けれど少なくともわたしにとっては動きが止まることは終わりとニアリーイコールだと思っていて、区切りという言葉が『続きがある』と約束された言葉ではないということも知っている、からこそ、どうしてもやりきれない気持ちになってしまうのです。歩みを止めてほしくない、もっともっと、明日に連れて行ってほしい。そんなものはファンの、わたしのただのエゴだと分かっているけれど、それでも。

わたしは、『自分の意志で嫌いになったほうが楽だし、自分を納得させられる』と今も思っています。実際にそうしてきたものもたくさんある。けれど、ドリフェス!に関してはそれをできなかったのです。一旦区切りをつける、ファイナルに向けて動き出す、と聞いて、その光景を見たくないから彼らから離れる、なんて選択肢はこれっぽっちも思い浮かばなかった。ドリフェスは彼らの言うところの『気がついたら一部みたいに離れなくて大事にしたい』ものだと、やっと今になって気づきました。

声を上げても、叶わないかもしれない。たくさんの声がありながらも、武道館で『ファイナル』を迎えるかもしれない。けれど、それまで自分が納得行くような行動を取ってこなかったら、きっとわたしはめいっぱいの泣き笑いしながら彼らに『ありがとう!』なんてとても言えない。

だから、わたしは自分にできることを全力でやりきります。「そんなことしたって未来は変わらないよ」と、過去のわたしは笑って言う。でも、やってみなくちゃ分からないことだってたくさんあるはずだと、わたしは『彼ら』から教えてもらったことにやっと今、気づきました。ありがとう、君たちが教えてくれたことを、やっと少しだけ返せそうだ。そんな気分です。

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