Thirsty Thirty

生活、ときどきオタク

”無題”の話

八景島めっちゃ楽しかったなーー!!という気持ちがありながらあれもう2週間前なのか…と時間の流れにちょっと引いています、こんばんはわたしです。
先月はHOMEを見たりIndigo Tomatoを見たり生ドラマ観覧に行ったりとそれなりに充実したオタク生活をしていました。気づいたら万単位で飛んでいくクレカ決済額、まじこわい。
そんな4月終わりから5月を過ごして、やっぱりなんというか『凪いだ』気持ちでいてしまう自分が悲しくもあります。あ、今日の文章はなんとなく陰鬱な感じになると思います先に謝っとくねごめんよ。書き上げてあまりにも暗くなったので閉じたよ。

 

HOMEもトマトも、あとはぼっくるも閉店拒否も、すごく面白かったのです。『ほら!わたしがこれまで推してきた子たちすごいでしょ!!』って胸を張って言えるくらいみんなすごくて、成長著しくて、嘘誇張無くずっと応援してきてよかったなあ、と思った。
けれど、なのかだから、なのか分からないけれど、それと同時に、『見えた』ような気がしてしまったのです。何がかと言うと、『10/21より後の未来図』が。

今彼らはそれぞれがそれぞれの場所で、それぞれの立ち位置で頑張っている。DDであることを活かして、あるいは彼ら自身のポテンシャルを活かして、今以上になろうと、殻を破ろうとしている。すごいなあ、とつくづく思います。
HOMEで見たかおるくん、久しぶりに生で見た彼の演技、本当にすごいと鳥肌が立ちました。Indigo Tomatoで聞いたミゾタクの歌声、これまでと全然違っていてその進化に圧倒されました。ぼっくるで見たまさきまるの演技はさすがって思ったし、そーまくんの圧倒的な眼力にはため息しか出なかった。八景島で見たトミーの姿は涙が出るくらい『いつもどおり』で、その安定感に、変な言い方かもしれないけれど『安心』しました。

けれど、そこに『DearDream』としての姿を、彼らが纏っていた空気みたいなものを、私は感じることができなかった。

これは完全に自分の、受け取る側の問題だということは分かっているのです。百も承知です。それに加えて、それを引きずることを求めている自分のエゴだということも分かっている。なんなら、DD以外の現場にDDのことを持ち込んでほしくないとすら思っていたし、それは今でも思っている。
だから、”誰か”の意見と噛み合わないのは当たり前で、それをわかった上でここからは読んでほしいのだけど、わたしはその姿が見えてしまったことで、自分自身が『今』を大切にできなくなってしまったような気がしているのです。
仕事が今めちゃくちゃ忙しくなってしまっていることも要因の一つで、無謀とも言えるようなPRJにぶっこまれていて余裕がないことも分かってる。なんなら夏の本公演は1公演行けるかどうかすら怪しくて泣きたいぐらい。でもそれって結局『言い訳』でしかなくて、こんな泣き言をこんなところに書いている時点でもうダメで、つまるところ前にも後ろにも行けなくて、自分がただここで立ち止まってるだけなのだけれど。

この2ヶ月間で、『10/21より先の姿』がなんとなく見えてしまったことが、わたしは悲しかったのだと思う。DDとしての仕事が少なくなって、去年当たり前みたいに一緒にいたであろう5人が”そう”ではなくなって、個々の仕事は増えたのにそれを『還元』できる場は無くなっていて。
元々が役者さんなのだから、『当たり前』の、『元』の形に戻っただけだと言われたら、そうだねとしか言いようがなくて、それを望んでいる人がいることも知っているし、その意見を否定するつもりもない。でも、彼らに対して失礼だってことは頭では重々分かっているけど、今は何をしても『届いている』と言う感じがしなくて、そう思ってしまう自分が悲しい。

わたしは前々から『自分の応援なんて届かないもので、届いていなくて当たり前だと思ってた』とここに書いていた。たまに奇跡みたいに届いてる、届いてたんだ!って思ったこともあるし、今もそれを勘違いだよ、と笑うつもりはない。
けれどその代わりに、わたしが好きなのは誰なんだろう、と考えることが増えた。役者をしている推しの姿は、すごく好きだ。演技に真摯で、生ドラマで目の前でお芝居している姿は、やっぱり見てて楽しいと思う。ぼっくるもすごく楽しかったし、夏の本公演もめちゃくちゃ楽しみだ。けれど、じゃあ『演技』してる姿が見られれば満足なんだね、と聞かれたら首を縦には振れない。
彼のダンスが好きだし、歌が好きだし、ライブの時に本当に楽しそうにしているところが好きだ。MCでわちゃわちゃさせるところも、ツッコまれるところも、すごく好きだ。客席を見る目や、自分のファンであろう人たちにファンサしてる姿は、見ていて『アイドル』だなあと思う。そして握手だったりハイタッチだったりの時には、そのホスピタリティがすごいと本当に思う。

けれど、DDとしての活動が止まってしまったら、そんな姿は見られなくなってしまうだろうことは想像に容易い。
わたしが彼を『推し』始めたのはDDとしての彼を知ってからで、アイドルとして歌って踊る姿がスタートだった。だから、それを見られなくなることに怯えているのかも知れない。彼、もしくはDDになる前の彼を知っている人にとっては『元』に戻るだけだけなのかもしれないけれど、『わたし』にとってはそうではなくて、『変革』でしかない。

なんとなく、ずっと、何の動きもない濁った水槽にいるような気分。水槽の一番下で、身動きも取れないまま、ただ揺蕩っているだけのような。どんな気分でいまの感情に、推しに向き合ったらいいのだろう。あるいは向き合わないほうがいいんだろうか。少しだけ、背中を向けたほうがいいんだろうか。分からないまま、答えを出せないまま、今日も今日が過ぎていく。