Thirsty Thirty

生活、ときどきオタク

『今』の話

わたしは、ドリフェスが好きだったんだなあと思うことが最近よくあります。何を今さらと言われそうなんだけれど、改めて実感することがここへ来て多くなってきました。こんばんは、お久しぶりですわたしです。

振り返ると、このブログを始めてから気づけば2年経っていました。3年目かあ、長いようで短くて、短くて長かったなあ、と思うことばかり。2年前、2017年の1月、まだファンミ02の頃。それまでにあったライブらしいライブといえば噴水広場のリリイベくらいで、それなりにファンが増えてきていて、一方では公式の捌き方やキャパの読みがあまりにも甘くてよく怒りまくっていました。笑
そうか、この頃にはまだメビレのフルどころか『Real Dream!』すらリリースになってなかったんだなあ。そう考えると、『今』はあの頃には到底考えられないくらい遠いところにありますね。誰も予想していなかった、2019年の初春。

記憶というものは残酷で、特にわたしはあまり記憶力というものに恵まれなかったタイプの人間なもので、あんなに楽しかったこと、毎日があまりにも美しかったことすらも、少しずつ過去になっていって、そして少しずつ忘れていることを実感しています。
記憶は色んなものに連動しているから、たとえばキャラクターのTwitterが止まっていることや、公式からのお知らせがぐっと減ったことや、タイムラインで「ドリフェス」という文字を見ることが少なくなった、たったそれだけの理由で、少しずつ楽しかった毎日が薄れていっていることを自覚しています。誰が悪いわけでもなく、ただただ自分のせいでしかない。

実を言うと、武道館が終わって以降、彼らの曲を聞くことが極端に減りました。バトルライブもツアーも、円盤をあんまりしっかりと見れていません。もちろん全部は見たし、思い出したように見たい!見よう!と思って見ているけれど、1stLIVEのように毎日毎日飽きるほどには見れていない。ああ楽しかったなあと思うし、ライブ中に感じた思い出を掘り起こすこともあるけれど、どうしても『もう、こんな風に踊る彼らのことは見られないかもしれないんだなあ』という悲しさが来てしまうのです。
わたしは歌って踊る自分の推しの姿がとても好きで、この人にはこれ以上のステージはないってすごく強く思っていて、年末から今日まで舞台上に立つ姿や直接話す機会に恵まれたけれどどうしてもその影を探してしまって、でもそれを本人に言うわけにも行かずにただただジクジクとしていました。過去ばかりを肯定することは今を否定することにも繋がりかねないから。

けれどそんな中で、例えばド研ド部がパッケージ化するよ!とか、そこから始まる今すぐファンミ03も円盤化しろや大喜利とか、パッケージ化ってなんやねんVHSで出んのか?大喜利とか、武道館のBlu-rayには布がつくよ!という公式からのお知らせに『布って!!!』と言いながらあっという間にTLに並ぶ布という文字とか、「布交換してくださいツイートが始まるんじゃ?」大喜利とか、なんでかわたしのTL大喜利ばっかしてない?
とにかく、そういう風に『ドリフェス』というコンテンツを過去にしないぞ!という色んな人の思いに触れるたびに、ああやっぱりわたしはドリフェスというコンテンツが好きでたまらなかったんだなと思うのです。

たぶん、というか、憶測なのだけれど、ドリフェスを好きな人たちのほとんどが共通の経験をしたからなんじゃないかな、と思います。ドリフェス(※ここではファンを指します)がみんな仲いい!なんて甘っちょろいことを言うつもりはまったくないけれど、なんとなく緩やかな横のつながりがあるのは、ほとんどのドリフェスが『武道館』というあの空間にいて、あの空間で何かしらを感じたからなんじゃないかなと。
自分が大好きでたまらない何かにピリオドを打たれる経験は、初めてではありません。けれど、ピリオドを打たれた後ですらもこんなにファンが活発で、頻繁に動いていて、時々思い出したように何らかのムーブメントが起こるという経験は初めてです。ドリフェス(※ファン)は、ドリフェス(※コンテンツ)が好きで仕方がなくて、ここでピリオドが打たれることを望んだ人なんてきっとほとんどいなくて、いつかもしかしたらという気持ちがきっとどこかにある人も多くて、だからその日のために、っていう人も多いんじゃないかなと思わせるような、いま。

ドリフェスの楽曲を聞いてない、映像を見ていないわたしは、もしかするともうファンとはいえないのかもしれません。けれどどうしたって『ドリフェス!』という言葉を目にすれば心は踊るし、時々あの奇跡のような3年間のことを思い出しては嬉しかったこと、飛び跳ねるくらい楽しかったこと、泣きたいくらい幸せな気持ちを思い出すのです。
そしてたぶんきっと、それはこれからも同じなんだと思います。日々の真ん中にあるものはもうドリフェスではないけれど、自分の真ん中にはずっと変わらずに、当たり前のようにあって、時々スイッチが入ってその気持ちに火が灯る。わたしにとっての『ドリフェス!』ってそういうものなんだと、そういうものに『なっていく』んだと思います。そしてそういうものに出会えたことはきっと、とても幸せだということと同義なのだと、思っています。