Thirsty Thirty

生活、ときどきオタク

死んだ4月の話

『1月は行く、2月は逃げる、3月は去る』と日本における3学期になるとよく言われる。それで言うと、2020年の私の4月は『死んだ』。正しく言えば、私だけではなくきっと大勢の人の4月が、厳密に言えば4月以降のある期間が死んだ。そんな4月のことも含めて、今の思いとか考えを残しておこうと思う。

『ああ、意外と他人事ではなかったな』と感じたのは、2月の中旬頃だった。ハンサムライブ直前の配信番組の中で、いくつかのグッズが中国から搬入されないので当日の物販には並びません、後日通販にて販売します、というアナウンスがされた。
当たり前だけどその当時の私は毎日会社に出勤していて、周りにコロナ感染したという人はもちろんおらず、マスクも好きではないからつけていなかった。ダイヤモンド・プリンセス号で感染者が出ているらしい、という記事を会社で昼食を食べながら斜め読みして大変そうだなと思っていて、中国のあるエリアで爆発的に流行っているらしいと聞いて会社の中国人の同僚に実家は大丈夫ですか、と世間話程度に振ったくらいだった。
ハンサムでは『感染症予防のためにマスクとアルコール消毒を心がけてください、それに合わせて客席にキャストが行ってもハイタッチ等は禁止します』という案内がなされて、それはそうだよなインフルエンザだってあるもんなと思っていた。けれど、どれもこれもすべて『対岸の火事』でしかなかった。

3月に入って、会社から時差通勤や交代での在宅勤務の要請があった。時差通勤と言われても元々朝が遅めの会社なのでこれ以上朝を遅くすると帰りが遅くなるという空気がなんとなくあったし、わたし自身は会社で仕事をする方がメリハリがつくと考えていたので在宅は週1~2回程度にとどめて出勤していた。普通に買い物も行ったし、友達と泊まり込みで遊んだりもしていた(なおこの時闇ランチパックをした、死ぬほど楽しかった)
そんな中で、推しが出るはずだった舞台の全公演中止がアナウンスされた。薄々そんな気はしていた。ずっと稽古をしている様子だったしギリギリまで協議しているような感じだったけど、他の大劇場が次々中止になっている中で小劇場ならOKということはありえないだろうとも思っていたから納得はした(正しくはせざるを得なかった)ほとんど同じタイミングで、チケットを持っていた別のアーティストのライブも他の舞台も中止発表になった。この頃から、少しずつ『配信』にシフトしていったように思う。前述の公演中止になった舞台も全公演配信になっていた。ギリギリまで準備したものを形にして見せる環境があったことは幸運だったと、色んなことを振り返った今思う。
3月24日、緊急事態宣言が出るんじゃないかなんて噂され始めたタイミングで会社から可能な限り在宅勤務を増やすように指示があった。とは言え世間は年度末、そんな悠長なことを言ってる暇は正直なかった。入社して一番忙しい時期を過ごしていたし、残業も45h超えてたし、毎日21時退社、みたいな日々を過ごしていた。さらに悪いことに、電子署名も電子押印もその時は導入されていなかったのでまじで文字通りの『書類を印刷して印鑑を押すためと郵便で届く書類を受け取るため』に出社していた。今となってはちょっと信じられない。

4月に入って、緊急事態宣言が発令された。会社はいよいよ『出社禁止』の通達を出した。文字通りオフィスへの出勤が禁止されて、毎日家にいるようになった。時を同じくして、周りのお店が臨時休業になった。本屋、アパレル、雑貨屋、化粧品店みたいな『生きていく最低限に必要ではないもの』のお店は、全部シャッターが閉まった。スーパーとコンビニとドラックストア、わたしの行動範囲はたったその3つだけになった。『不要不急の外出はしてはいけない』という空気が全体に重苦しく立ち込めていて、少しでも外れようものなら眉をひそめられているような気がして、そうなると舞台や映画なんてとても行けなかった。舞台も映画もひと並びになった人たちが同じ方向を向いているのに、『密』になる空間がいけないと言われればもうどうしようもなかった。
この頃は、配信真っ盛りだった。そんな流れになるのは自明で、演者というかいわゆる芸能人、有名人もみんな家にいたからで、結構みんな時間を持て余していたのではないだろうか。色んな人が『こんなに時間があることってない』と口々に言っていて、この災禍は色んな人に、一般市民だけではなく本当に色んな人に降り注いでいると改めて知った。インスタライブ、LINE LIVESHOWROOM、YoutubeLive…ありとあらゆるプラットフォームで、毎日誰かが何かしら配信していた。最初こそ熱心に見ていたけれど、企画がなくてダラダラと話すだけで面白くないことが多いと気づいてからは見るのをやめた。流れてくる誰かのコメントを拾ってなんとなくフワッと1時間過ぎて終わる、それってよっぽどその人が好きであっても頻度が高いといい加減飽きる。
この頃から、私は『好きにも限度がある』と思い始めた。上述の、『よっぽど好きでもいい加減飽きる』ということに初めて思い当たったからかもしれない。元々盲目的に全部何もかも、というタイプではなかったから尚更そう思ったのだろうと思うけれど、何もかもすべてを肯定することはできないしすべきでもないと思うようになった。荒い言葉で言うと、少しずつ興味が薄れていくのを感じていた。

4月も中旬になると、持っていたチケットのほとんどが紙切れになった。払い戻しの案内が次々に来る中で、最初こそ悲しんでいたけれど途中から慣れていった。というよりも、『諦めがついた』という方が正しいかもしれない。有名なテーマパークも、たくさんの人が行くショッピングモールも、映画館もライブハウスも全部閉まっているのに演劇だけが許されるなんてことはなくて、それは『不要不急であって、生活必需品ではない』からだと。
これまで毎月ずっと何かしらの舞台を見てきていて、劇場に行かなかったのなんて本当に数年単位で経験したことのなかったことだった。わたしにとっては異常だったけれど、それをどうやら世間一般的には『普通、正常』というらしい。それらのことに時間を使う代わりに家の手入れをしたり、自分の手入れをしたり、家で楽しめるエンターテインメントを楽しむことが普通であるらしかった。わたしが趣味にしてきたことは、間違いなく不要不急だった。

5月に入っても、状況は殆ど変わらなかった。外には出られなかったし、相変わらず本屋も雑貨屋も開いていなかった。わたしの毎日は少しずつ『普通化』されていった。起きて、家で仕事をして、仕事を終えて、食事を食べて、少し趣味のことをして、眠る。1週間があまりにも長かった。普通化された毎日は、つまらなかった。つまらなかったと同時に、その毎日が当たり前になりすぎて『異常だった日々』が何だったのかを考えることが増えた。劇場に通って、楽しむ一方で色んなものに摩耗していたことに気づいた。精神的、金銭的な余白ができた。特に後者は顕著で、払い戻された金額をまとめて手にして驚いた。もしかすると、『我に返った』と表現してもいいかもしれない。楽しさや劇場でしか経験できないあの感情は、解けてしまう魔法だったのかもしれない。あのチケットは間違いなく、その魔法を見るための入場券だった。間違いなく楽しかった、異常だった日々が、果てしなく遠いもののように思えた。
5月末、非常事態宣言が解除された。その前後で、生活が少しずつ、ほんの少しずつ戻ってきた。行きたくてたまらなかった本屋も、アパレルショップも、雑貨店も、時間を区切ってオープンし始めた。髪がずいぶん伸びていたけれど、まだ怖くて美容院には行けなかった。会社は相変わらず在宅を推奨しているからオフィスには行っていなくて、6ヶ月の定期代を4月に支給されたのに期限切れになってから2ヶ月以上経っていた。

6月1日から少しずつ、かなり緩やかに世界が元通りになってきたように見えた。オフィスに行く人が増えて、朝のラッシュが以前ほどではなくとも戻ってきたとニュースは言っていた。ひところの3桁の感染者はぐんと減ったけれど、増えた減ったは未だに毎日報道されている。
6月にもなると、一時流行った○○バトンとかなんとかつなぎとか、そういうものはすっかり見なくなった。あれは一体何だったのだろう、全員が同じ状況に置かれたことで生まれた奇妙な連帯感の下に流れた見えないロープのようだったあれは。一方で配信はより商業的になっていって、オンラインライブだったり無観客ライブの配信だったりを『お金を取って』見せるシステムが少しずつ確立し始めている。暫定的にではなく、最初から『配信のために』作られたライブ。なんとなく食指が動かないのは、自分が現地にいないからだ。あの耳をつんざくような音も、腹に打ち込まれるような低音も、周りの人が歌ったり笑ったり泣いたりする声も、体験できない。家で一人で小さな画面に向かって見るライブはきっとわたしにとってはつまらないと薄々分かっている、だから敢えて見ていない。

6月上旬、最後の1枚だったチケットが紙切れになった。年内、どこかの劇場で演劇を見る見通しは立っていない。舞台は少しずつ元に戻ろうとしているけれど、席を1つずつ開けないといけないので抽選し直します、席を振り直しますなんて告知も見るようになった。その結果、当初の設定から金額が上がることとなりますというのも。新たな生活様式なんてかしましく言われているけれど、きっと今からは、少なくとも今年いっぱいくらいはこれが『普通』になっていくのだろうと思っている。3000円くらいで小劇場で見ることも、7000円くらいで少し大きめの劇場で見ることも、しばらくは叶わないだろう。舞台は、『高尚な趣味』になりつつある。
これから演劇の、特に話の内容であったり演出であったりに向けられる視線はより一層厳しくなるんだろうね、なんて話を友人とした。身も蓋もない言葉で言えば、『この金額払ってこの内容?』と言われることが増えるだろうし、それをしないために質の低いものは淘汰されていくであろう、いってほしい、と。面白い・面白くないはあくまでも個人の感想でしかないからそこに制限はかけられない。けれど間違いなく『危ない運営』はこれまで存在していて、それがこの後どれほど淘汰されていくのだろうか。

こんな風に、わたしの4月は死んだ。5月も、6月も死んだ。この3ヶ月、驚くほど記憶がないのだ。やっている仕事は少しずつ変わっているけれど、生活がおしなべて同じだからだ。言い換えれば、『異常』ではないからだ。異常だった日々が恋しいか、戻りたいかと聞かれると、正直今は分からない。今年はきっと、リハビリになる。今が正常だとは思わないけれど、異常だとも思わないから。

メビレの話

ドリフェス!音源サブスク化おめでとう!!!!!
今更とか思った?そういうのは思ってても黙っておいてくださいそれが大人のやり方です

そんなわけでこんばんは、わたしです。サブスク化本当に嬉しい……最近本当にCDを円盤で買わなくなったので大変ありがたいことこの上ない。ありがとうランティス
さて、ドリフェスの音源がサブスクになるということはどういうことか、そうドリフェスをよく知らない人のところにも届く可能性が圧倒的に高くなるということです。それはつまりどういうことか、わたしが愛してやまないまじでこの世の全アイドルに歌ってほしいと願ってやまない『MAY BE, LADY!』が見つかる可能性が格段に上がるということなんですよね……!!!あまりの出来事についボールドにしちゃったわ。
ここまで読んでお分かりの方察しがいい、そうですつまりダイマ記事です。メビレ芸人ことわたし、メビレの良さを伝えるなら何だってする(君が笑ってくれるなら僕は悪にでもなる)

この曲、珍しくアプリ先行だったんですよね。いや後々冷静に考えたら珍しくはなかったのかもしれないけど、とにかく当時のわたしは突然のキラキラのアイドルソングに一発KOされたのです。トラシグがこの曲を歌うかわいさよ……
個人的主観だけど、元々はすっごい人気曲!!って感じでもなかったかなという気がしてます。元々某Jとか某48Gが好きでアイドルソングも好きだった私は『ハ……?好き……』ってなって大騒ぎしてたけど、わたしの周りはバタガとかユレル、鳥籠とかの方が人気高かった気がします。まじで主観だけど。

落ち着きなさいよ

ああやっぱりすごく好きだなあと思ったのは、リアドリというかリアシグが実際にライブで歌ったあの瞬間でした。確か1stLiveだったと思うんだけど、ちょうどその直前に出たReal Dream!に収録されたからやるかな?でもトラシグは他にも持ち曲あるから…とあまり期待せずに行ったらあのイントロが流れて、その瞬間まじで涙腺ぶち壊れたみたいに涙が出てきたんだよね……ちなみにその後ツアーとかファンミとか色んな所であのイントロが流れる度に毎回同じ現象になったからメビレ聞いたら泣くプログラミングとかされてるのかもしれない。脳に。
その後めでたくKUROFUNEがカバーしたり白黒メビレと呼ばれるチヅ&勇人(『白村』と勇人に呼ばれるチヅと『黒石』勇人のコンビだから)のシャフユニが出たりしてめでたく人気曲と相成ったわけですが、はいここでお気づきですね、わたしの推しだけ歌ってないんだよな……!!!まじで諦めてない。令和になったしそろそろ隠し持ってた片桐メビレを出そう。ちなみにメビレは事務所曲なので(いつかのガルスタ記事に書いてあった)D4プロの子たちだったら誰でも歌えるんだよ!片桐メビレやろう。今すぐやろう。

あとは何と言ってもあの歌詞が本当にもう……ありがとう松井神……
言ってしまえば『これは恋かな?恋なのかな?恋なんだね!』と確信に至るまでの歌なんだけど、それを『初期の』『トラシグ』が歌うからものすごくピッタリだったんだろうなあと思うのです。私は二番の

”I LOVE YOU” そうなんだね、一緒に歩いてるだけなのに
”ENDLESS BEAT” 不思議だよ、季節が鮮やかになってく

の歌詞がめちゃくちゃに好きなんですよね……なんというか、すごく変な言い方なんだけど『生々しすぎない』ところが本当に絶妙だなと思う。アイドルの歌う歌詞だなというか、『誰にも嫌味なく受け入れられるアイドルソング』の王道ど真ん中で、それを初期の頃のトラシグが歌ったことに意味があったのかなあと思います。
それで言うとある程度トラシグが『爽やか』という素地を固めた上で、KUROFUNEがまた印象の違うどこか大人っぽさを感じられるバージョンを、更にチヅのかわいらしい声とDDKFの中でもかなり硬質な勇人の声という真逆の2つをかけ合わせた白黒バージョンを出したというのは結構チャレンジングで、だけどやっぱりすごく面白い手法だなあと思うなあ。

ものすごくキャッチーだなと思うのが、

君が笑うとき スパンコールみたいな星が降るね

っていう歌詞だと思うんですよね。キャッチーというか、歌詞を聞いた瞬間に情景が目に浮かぶ。自分が実際に経験したことがあるとかないとかではなく、漫画でもアニメでもそういうシーンを誰もが目にしたことがあって想像しやすいからこそ、そこからぱあっとこの曲の世界が広がっていく。共感というか『歌っている人』と『聴く人』が近い風景を見ているような気持ちにさせてくれるのと、「スパンコールみたいな星」という言葉の美しさと、そしてここに描かれているような『恋をした瞬間に世界が変わる』という追体験みたいなものがこの言葉にギュッと詰まっていると思っています。頭の中に見えるもんな、世界が……。
あと最後に『Maybe』が『Alright』に変わるのもいいよね、たった数分の曲の中でちゃんと心の移り変わりまで描かれているのがあまりにも美しいんだ……。

そして何と言ってもこの曲、ダンスがあまりにもかわいいんだよ!!!!!上述の『スパンコールみたいな星』のところでお星さまを描く振りだったり、手をキラキラさせる振り(伝わるのか?)があったり、とにかく『初々しい』振りが多いのがたまらなく好きです。意図してそういう難しくない振りにしてるのかは分からないけど、あの曲にいきなり高度なダンス持ってきても『!?』ってなるので多分あれで大正解。
あと間奏のロックダンスも初々しくて好きなんだ……あれよく某Jのバックで踊るJr(しかも割と入りたての子たち)がレッスンで使ったりする比較的基礎の振りだと聞いたことがあるんだけど、それも含めて解釈一致!!!!!ってならない?なるよね??(同意を求めるstyle)ちなみに間奏に入る前に高確率でミゾタクが『レツゴッ!!!』って言うのも好き。なんなら無いと物足りない。あとこの曲がライブで披露される時は100%ミラーボールが回ります。オタクの大好きなミラーボールだよ!!

そんなメビレ、本当にわたしが愛してやまないので聞いてください!などと押し付けがましいことを言うつもりはなく、とにかくアイドルが好きなそこのあなたに聞いてほしいというただそれだけの気持ちで書いています。え?聞き方が分からない?

Real Dream

Real Dream

  • DearDream
  • アニメ
  • ¥2139

このアルバムを検索してみてください。SpotifyにもAppleMusicにもAWAにもあります。そして3曲めを再生するだけです。わたしはAWAの回し者なのでAWAを贔屓します(回し者ではない)ちなみにこのアルバム、RD!~プレフラ~メビレというまじで天才の所業か???という曲順なところも愛してやまないところです。この曲順に決めた人今すぐに出てきてほしい、1億円あげたい。

あとは歌詞とイヤホンから流れて来る彼らの歌声を楽しむだけ、ただそれだけです。それだけでなんかちょっとHAPPYな気分になれることをメビレ芸人ことわたしが保証します。何卒……何卒よろしくお願いします………端的に言うと頼むから1回だけでいいから聞いてくれ……

最後は武道館前に推しにメビレをやってほしいあまりに錯乱したわたしのツイートでお別れです 落ち着け

記憶と未来の話

こんにちはそしてこんばんは、わたしです。お久しぶりです。約10ヶ月ぶりの更新ですってよ、怖くない?時が過ぎるのあっという間すぎない??そんなわけで今年も元気に年を取りました元気でよかったね。

何をしていたかといいますとこの1年の間に何度目かの転職活動をして、新しい職場で働き始めて、もちろんその合間に舞台に行ったりライブに行ったりしていました。推しにも会ったし、推し以外にも会ったし、新しく推したい!推せる!と思える人にも出会いました。
とは言え2月から徐々に加速するように始まったこの状況下では『自分の意志』だけで自分の会いたい人に会いに行くことはできず、楽しみにしていた現場もたくさん潰れて、休みの日って1日がこんなに長いんだなと思うようなことばかりが起き続けました。もちろん、今も現在進行形で色んなものがなくなっていくし、チケットはただの紙切れになっていく。あーあA列のチケットが手元にあったのになあ!!!悲しい!!!

そんな中で、昨日ふとこんなことを思ったのです。

『2%』っていうのは別に誇張でもなんでもなくて、ドリフェス!がわたしの生活の一部を占める割合はこの1年間で緩やかに下降しました。もちろん今でも大好きな作品だし、大好きな曲たちだし、大好きな人たちです。
それでも、どうしても根っからの性格があったり環境の変化があったりで、例えば武道館前と同じ熱量で今も大好きかと聞かれると答えはNOになりました。それを是とするか非とするかは人によるので認めてほしいとも開き直るつもりもありません。

けれど、幸運なことなんでしょうね、ドリフェス!は一区切りを迎えた後でも緩やかにしかし長く続いていて、その度にずっとリマインドされているような気になるのです。
わたしは自分がリアル寄りのDDerだということを理解しているのですが、それでも『ドリフェス!』という枠組みはずっと大好きで、ツイートにも書いたのですが『遺伝子に組み込まれてるのでは?』って思うんですよね、ちょっと言葉にするのが難しいというか何言ってんだ感がやばいけど。

懐古厨ごっこをしたいわけでは全くないので変な受け取り方されたらやだなと思いつつも、わたしはとにかくドリフェスというPRJが改めてすごく好きだったんだなと今になって色んなシーンで改めて思い知るんです。その日々を否定したいわけでも嘲笑したいわけでもなく、純粋に懐かしく思うような感情でただ『楽しかったなあ』と思う、それだけの意味で。そういう場面が、武道館の後に何度も何度もありました。
そして何がそう思わせるのかなと紐解いていった時に、『夢に、大きな目標に向けて、彼らがとにかく全力で走っている姿』が好きだったんだなあということに行き当たるのです。NEW STAR EVOLUTIONのイントロを聞いた瞬間に走馬灯のようにいろんな景色や記憶、感情、言葉にできない思いが一気に浮かび上がるのは、やっぱりどうしたって『ドリフェスに対する、ただ楽しかった記憶』が自分の中にあるからだと。

もちろん、実際はただ楽しかっただけではないです。嫌な思いをしたことがないわけではないし、ちょっとしんどいなって思うこともあったし、気分の悪くなるような言葉を目にしたことももちろんあります。それでも、きっとこのブログだって『ポエムブログ』ってどこかで揶揄されるかもしれないけれど、彼らを”応援”し続けていた約4年間は楽しかったよなあと思うから、そしてその後に続く『明日』である毎日も、その一日である『今日』も楽しいと思うから、こうやって言葉にしたいと思うのです。
マイナスな意味ではなくきっとこれからもわたしは『楽しかった記憶』に支えられて、わたしもそれを支えにしながら生きていくんだろうなと思うし、この先何年経ってもニュースターのイントロが流れてきた瞬間泣くと思います。笑

これから先もきっと、以前のようにドリフェスが生活の中心ど真ん中にいることはもう無いだろうし、緩やかに曲線を描きながらまたその割合は減っていくんだろうなと思います。分かります、自分のことだから。
でも一つだけ確実に言えるのは、『彼らを、ドリフェスを好きでいたことや応援していたという事実を後悔することは絶対に無い』ということ。これは、10年経っても20年経っても変わらないと思います。各個人に対して『何やねん!!!!』って思うことはあるかもしれないけれど、ドリフェスの頃を否定することは、きっと無い。それを否定するのは、彼らはもちろん、その頃の自分や周りを否定することとイコールだからです。

彼らのうちの誰かに会える予定は、この後一切決まっていません。下手したら今年1年会えないかもしれないということも、心のどこかでは覚悟しています。ハンサム2DAYS恙なく終われたのは奇跡だったなと思うし、あれがもしかしたら今年最後になるかもとすら思っています。
だから、次に誰かの舞台を見に行けたら、もしかしたら直接話せる機会があったら、改めてありがとうと伝えたいなあと思うのです。武道館の後もずっと奇跡の続きを見せてくれていたことに、決して当たり前ではない『応援するための場所がある』ということに。そして、応援なんてちっぽけなものを、有ってもいいんだと肯定してくれることに。

推しが退団した話

推しが、所属していた劇団を辞めた。オフィシャルには『退団』と出ていたが、残った方たちは『脱退』と言っていた。それはどちらでもいいが、とにもかくにも彼は、5/31に約5年半所属した劇団プレステージを辞めた。
正直に言うと、驚いた。退団発表された6名の名前を見てああやっぱりと思う人もいたし、えっどうして!?と思う人もいた。最後に推しの名前を見つけた時、なんとも言えない気持ちに襲われた。やっぱりともどうしてとも思わず、そうか、とだけ感じた。わたしの中ではプラスにもマイナスにも気持ちは動かず、ただ、そうか、としか思わなかった。『思えなかった』のではなく。

わたしが推しを知ったのはドリフェス!というPRJからだったので、彼が劇団に所属していることもその劇団のことも知らなかった。アミューズという事務所の中に劇団があることすらも知らなかったが、2名は外部の舞台で見たことがあったのであああの人たちだ、と思った記憶がある。
ドリフェスありきで知ったので、わたしは推しを知ってから1年強彼のお芝居を見たことがなかった。もっと言えば、劇プレでの推しの演技を見るまでには約2年を要した。それくらい最初の1年はドリフェスに全精力を賭けていたんだなということを今になって改めて感じるけれど、当時の自分はそれを喜ぶべきなのかどうなのか、とても複雑な気持ちで見ていた記憶がある。わたしはずっと、彼は『お芝居をしたい人』なのだと思っていた。だから、声のお芝居やダンスや歌をやることに対して彼はどう思っているのだろう、本当はお芝居がしたいんじゃないだろうか、と思っていた(結果的に、それは私が見誤っていたと数年越しに知ることとなるのだけれど)。

ストラボやイベントで『劇団の中における推し』を知っていってからは、少しずつ劇団自体も見るようになっていった。DDでも劇プレでもなんとなく推しの立ち位置は変わらなくて、そーまくんの位置はちょっとだけ違うなと感じつつも、『そういう感じ』なんだなと思うようになっていった。年下で、ちょっと抜けてるけどすごく可愛がられるタイプで、でも馬鹿にされるわけではなくしっかりといい役を勝ち取るタイプ。特にわたしが見たウラブー以降の劇団公演ではどれも役名付き、しかもわりと中心となる役ばかりだったから、彼は劇団においてある種のキーマンだったのではないかと思っていた。そして言い方は悪いけれど、『新しいお客さんを引っ張ってくる』ことを期待されていたんじゃないだろうかと感じていた。それは推しだけに限らず、DFに関わる3人がそうだけれど。
とは言え『似たような役が多いこと』を気にしているフシがあるのも感じていたし、それは劇団における立ち位置がそうさせているのかなとも思うようになっていた。声をイジられたり、年下という立ち位置的にイジられたりすることも多かったけれど、それが『イメージ』としてなんとなくついてしまっていて、それを打開できるほどの機会がなかったということでその状態がズルズル続いているのかな、と。
もちろんそれを劇団のせいにするつもりはまったくないし、そのイメージを打破できるほどの幅が本人にまだなかったからということもあると思っている。『思った以上に本人が気にしているな』というのは特に今年に入ってから彼の発言で感じていて、だからこそ、乙であったり相模といったような『これまでとちょっと違う役が続いて、それを自分のモノにしたという自信がついた今』だからこそ、彼は劇団を抜ける決心をしたのではないかなと思う。

そしてもう一つ、彼はドリフェスというPRJを通じて、彼自身の大きな目標を見つけたのではないかな、と思っている。このPRJでは、ファンが見ているだけでも大変そうだなと思うようなことをたくさんやってきた。行脚、ダンス、歌、声のお芝居、実際のお芝居、バラエティ、生配信、リアルイベント…多分それは、劇プレの中にいるだけではでき得なかったことだ。PRJのオーディションに受かったのは彼自身の技量があったからだし、こういうイベントを自分ごととして受け止めてモノにしたのも彼の技量があったからだ。
ここからは憶測になるけれど、彼はきっと『応援してくれている人に何かしらで応えたい』という気持ちが人より少し大きい。そしてそこに、『可能な限り近くで、直接伝わる方法で』という要素が入っている気もする(本人もファンもそれを求めていると分かるし、それが合致しているのはある意味奇跡だなと思っている)具体的に言えばリリイベとか、握手とかハイタッチとか、そういうのに抵抗なく参加できる人だと思っているけれど、じゃあそれが『劇団の中にいたらできないことなのか?』という気はしている。
これまでだってそうしてきたじゃないかと思うけれど、どうなんだろう、もしかしたらどこかで『劇団員なのに』という思いはあったのかもしれない。一人の俳優としてなら当たり前のイベントかもしれないけれど、『劇団員』として動くとなると…、という見え方があって、それをもしかしたら気にしていたのかもしれない。彼本人にということではなく、周りの視線としても。特に、彼がいま強くやってみたいと思っているだろう歌やダンスは、ミュージカル俳優でもない限り舞台上で求められることは多くない。じゃあミュージカル俳優になるか?と言われれば本人には全然そんなつもりはなさそうだし、『そちら』ではないんだろうな、というのも分かる。もしそうだったらごめんな推し、がんばってくれ。

劇団にいるということは、『ホーム』があるということだ。何においても劇団のことを最優先にしないといけないということではないけれど、これまでの劇プレの性質上、彼らには何かしらの役割が与えられていて、それをきちんと遂行することが求められている。小屋入りとか稽古場のバラシとか、他の舞台だったら自分たちでやらなくても良いことも求められる(他の舞台でももしかしたらやってるかもしれないけれど、頻度は低いだろうと思われる)
それはきっと、実家ぐらしとよく似ている。家にいれば、ある程度家のことをしないといけない。自分の意志で動くこともできるけれど、家族からの声を無視することはきっと難しい。社会人になってから実家ぐらしをしたことがないから予想でしかないけれど、自分ひとりだけで好きなように生きることは、一人暮らしに比べると少しだけ『枷』ができるようなものなんじゃないかとわたしは思っている。だから家を出る決意をして自分だけで歩いていこうというのは、ある種自然な流れなんじゃないだろうか。

この決断をいいとか悪いとか言うつもりはこれっぽっちもなく、判断するつもりもまったくない。誰かの決断を肯定したり否定できるのは、その人自身でしかないからだ。劇団という家がこれまで『守ってくれていた』のかは伺い知れないけれど、家を出る決意をしたのであれば、自分についている看板を外すのであれば、自分だけでどうにかしないといけないことだってきっとたくさんある。
当然そんなの分かった上での決意なのだろうから、誰かにそれを否定する権利なんて本当にひとつも、これっぽっちもない。何も知らない人間が、否定できるわけがない。だとしたら、これまでと変わらず応援しようとわたしは思った。なにかが変わるかも知れないし、何も変わらないかもしれない。それならそれでいい、もしかすると『わたしの』何かが変わるかも、変わらないかもしれないんだから。

家族だ、仲間だと、『家』は言ってくれている。本人としては戻りたいという気持ちは無いかもしれないし、そういう気持ちで安易に抜けたのだったらふざけんなと思うけれど絶対にそうじゃないんだろうということはこれまでを見ていればなんとなく分かるので、これからの行く末を見ていたいと、今思えるのはそれだけだ。推しも、劇団も『岐路』に立って、それぞれが新しいフェーズを迎えている。ハードルは上がるけれど、そうであろうこともきっと彼らはとっくに知っている。だから、6月の主演舞台(もう『外部舞台』じゃないんだな)も9月の劇団の本公演も、新しい気持ちで見られるだろうということが楽しみだ。

『ピリオド』の話

www.dream-fes.com

4/3、ずっと見たかったあの日の光景が手元に来た。あの日見たものと同じであり、あの日じゃなきゃ見られなかった光景もたくさんあり、そしてあの日とはまた違う気持ちで見れるものもあり、最初から最後まで泣きながら見た。直前までげらげら笑いながら見てるのにいきなり涙腺の蛇口死んだんじゃ?ってなった。まあ涙腺の蛇口はいつだって死んでますよね。

わたしは、10/21からもドリフェスに『続いて』ほしかった。何らかの形で、目には見えなくてもいいから、ドリフェスというこの大きなPRJがその後も続いてほしかった。時々思い出したようにCDを出してほしかったし、時々思い出したように二次元の彼らののTwitterが動いてほしかったし、三次元の彼らにもドリフェスの話をし続けてほしかった。ずっとドリフェスが続くわけないと、それはもしかしたらいつか彼らの『枷』になるかもしれないと思っていたけれど、それでも今終わるべきではないと思っていた。

一方で、このディスクに映っているあの日の彼らは『その先』を見据えているようには見えなかった。補足しておくと、悪い意味でそう言っているわけではまったくない。武道館前のさまざまなインタビューでずっと彼らは『このステージを集大成にしたい』と言っていて、わたしはそれがすごく嫌というか、ただただ寂しかった。集大成ということは、その後の予定はない、何も考えていないと言外に言われているような気がしていたから。集大成にするなら『第一章』のそれにしてほしかったし、そこから後も、これから先もずっとドリフェス!というPRJを続けてほしかった。終わらないよ、いつか帰ってくるよと言って、約束してほしかった。
けれど、ここに映っている彼らの誰からも、『その先がある』という甘えにも似たような感情は、一切感じられなかった。今ここで、全部を出し切って、そして明日からまた歩いていくための一歩を踏み出す、そこにあったのはそれだけだった。あの日感じられなかった彼らのその『覚悟』を半年以上も経ってからやっと知るだなんて、ちょっと恥ずかしい。もし彼らの中の誰か一人でもにそんな甘えのようなものがあったとしたら、あの日見たステージは叶わなかったのだろう。そういう意味では、あの7人が、14人が同じ気持ちで同じ方向を見ていてくれたことは奇跡以外の何者でもないのだと改めて感じる。

一つ、とても印象的なシーンがある。Disc2、Day2のバックステージ、全て終わった彼らが舞台裏でDDerの合唱を聞いているシーン。涙してる人もいれば、聞き入っている人もいれば、笑っている人もいる、とても『彼ららしい』場面。
その中で、どうしても忘れられない顔があった。『余韻に浸りたい』と言いながら、『ここで寝るか』と笑いながら、その空気を感じ入るように最後まで武道館のフロアにいた、DearDreamのセンター、そーまくんのそれ。

わたしは正直、最初から彼のことがずっと分からなかった。子供みたいに笑うけど、絶対に泣かない。いつだってすごく真剣だけど、どこか掴めない。自分が好きなタイプが『喜怒哀楽、感情が分かりやすい人』だということもあって、彼のことは本当につかめなかった。どんな会話をしていいのかも分からなかったし(いまも分からないけれど)熱い人なんだろうなというは分かるけれどその熱がどれほどのものなのかを、いまいち測りかねていた。
武道館の最後の最後のMCですら、彼は泣かなかった。『ああ泣かないんだな』と、現場で見ていたわたしは思った。分かってたけど。本当は、ちょっとだけそれが不満だった。ドリフェスに対する熱量が青天井じゃないってことを、『わたし』が分からなかったことが。

けれど決してそうじゃなかったというのを見せつけたのが、彼のあの顔だった。あのシーンですら彼は泣いていなかったけれど、あの表情にわたしはハッとした。泣いているから悲しいのだ、泣いていないから悲しくないのだと思うこと自体が間違っていて、何も感じなかったなんて、きっとそんなことはなかったんだろうと思わされた。あの表情は、彼の3年間を確かに映し出していた。それだけで十分だったし、あの表情を見た瞬間にほんの少しだけ彼が分かった気がした。
あの瞬間に、彼のあの大きく驚くほど美しい目が見ていた先には何があったんだろうか。過去だったのか、思い出だったのか、それとも『明日』からの『未来』だったのか、それともどちらともだろうか。

少し巻き戻るけれど、ETERNAL BONDSの彼の最後のあの晴れやかな表情はきっと、DearDreamとしての、ドリフェスとしてのすべてをやりきったという満足感と充足感に満ち満ちていたからこそ出てきたものなんだろう。わたしが初めて触れた、彼のきっと一番熱い場所の、ほんの一部。それを、この『集大成』の時に知らしめるなんてまったくずるい男だ。

これは2月の自分のつぶやきだけど、まさにその通りだった。あの日、あの場所だけでは見られなかった彼らの表情がBlu-rayによって『補完』されてそれがあまりにも美しかったから、そしてある種自分の望むようなそれだったから、 わたしは自分のドリフェスという『物語』の一文目にピリオドを打つことができた。いつか望んだ『美しい終わり方』に近づけたんじゃないかなと思うし、それはやっぱりすごく幸せなことだ。どうしたってこのPRJを好きになってよかったと思わされるのだから、まったく、悔しい。

成長と進化の違いの話

推し個人とも、推しているPRJとも直接関係ない話なのだけれど、わたしは某有名2.5タイトルが得意ではない。得意ではないというよりも、ものすごく『苦手』だ。そんなわけでこんばんはわたしです。東京は今年初めての雪らしい雪です。

話を戻すけれど、じゃあなぜそれが苦手なのかというと、一つはとにかくそれを勧めるファンがあまりにも多くて辟易としてしまったこと。わたしは元々ジャニオタでそこから48オタを経て今のジャンルにハマっているので、比較的『生身の人間』に免疫のある方だと思う。この字面だけ見ると頭おかしい人の発言だな、まあいいや、だからこそ今のジャンルにはまり始めた頃にすごくいろんな先輩方に『あれ見なよ!』と死ぬほど勧められた。というか、未だに勧められる。
一方でわたしは『みんなと同じ』ということがあまり好きではなく、自分の好きなものは自分が選ぶ、という思考が強い。だからブワーーー!と流行っているジャンルがあってもリアルタイムでハマるということはあんまりないし、むしろピークが過ぎてからえっなにこれめっちゃ面白いやん!と遅れてハマることもザラだ。だからかもしれないけれど、『みんなに勧められるから反発する』というクソ天邪鬼な思考を以て得意としていないんだろうなと自分では思っている。でも、同じような界隈に住んでいる人10人中7人に『いいから見なって!』と言われて辟易とする人ってわたしの他にもきっといると思うんだよなあ、たまたまそれがマジョリティタイトルだからなおさら母数が多いというのもあるかもしれないけれど。

しかし、理論は分かる。2.5次元モノを通ってこなかったわたしでさえもタイトルを知っている超有名作品だし、一種の登竜門だ(だった?)と思うし、原作も途中まで読んでるからキャラクターのビジュアルと名前もある程度一致するし、なんと言ってもそこから若手俳優がたくさん排出されている、だから面白いよ!という理論だ。分かる。わたしが心の中で勝手にステージ界のジュ…ンスーパーボ…イオーディションと呼んでいる(呼ぶな)それは、だから『青田買い』という意味でも見ていておもしろいんだろうなと思う。あまり名の売れすぎた俳優さんが出ているイメージがないので、言い方は悪いけどこれを『踏み台』にしてのし上がっていく一種のタイトルでもあるように見える。帝劇俳優も声優も有名俳優もいるし。もちろんそれは、勝ち取ったその役をしっかりと演じきってこそなし得られるものだと思うけど。

あとは単純に、言い方は悪いけれどあのタイトルに捕まるとすごく『それだけ』になってしまうように見える。在籍期間(というのは多分正しい表現ではないけれど)が長いから必然的に他の仕事より優先しないといけないんだろうなと思うし、その結果自分の元々の仕事をセーブせざるを得なかったように見える人もわたしが知っている数少ない俳優の中で何人もいる。もちろん、あのタイトルが好きな人からすればそれは願ったり叶ったりなんだと思うし、その中での『成長』が見られるのはすごく楽しいんだろうなというのは分かる。けれど、飽きっぽいというか好きなものを好きだと受け入れられるまでに長く時間がかかるわたしにとってはそこはマイナスでしかなかった。

とは言えここからが本題なのだけれど、そしてこれはこんだけ前振りしたくせにこのタイトルだけに限った話ではないけれど、『公演期間中に成長する』のって、果たして観客が望んでいることなのだろうかとわたしは思う。もちろん、レベルが低いところから始まって千秋楽まで低いままで終わっていいわけではまったくない。そういうのは金返せとまでは言わないけど1回でいいな、と思う。あと見極められなかった自分に嫌悪感がある。そしてすごく難しいのは、『進化』と『成長』の違いだ。
例えば10公演あるとする。初日幕が開けて実際に観客の反応を見たら思いの外ウケなかった、間延びした、意味が伝わってなかった。だからシーンをカットする、セリフや演技プランを変える。これは『進化』だ。より良いものを作って、話としてメリハリや山場を作って、感動したり色んな感情を持って帰って欲しい、それはすごくプラスだと思うしいい役者・演出家・制作陣だなあと思う。
一方で、初日はセリフを飛ばしてしまった、踊れてなかった、緊張でガチガチだった、演技がイマイチだった、というような人が千秋楽には良くなっている。『良い』かどうかは置いておいたとしても、『見れる』レベルになっている。これは『成長』だ。そしてこれは、少なくとも公演が始まる前までに習得しておくべきものだ。もしかしたら初日のその仕上がりが既に『成長』した結果だったのかもしれないけれど、だとしたらレベル低くない?と思ってしまう。

これは2.5だけに限った話ではないし、わたし自身が2.5作品をほとんど見たことがないのでどちらかというとオリジナルの舞台での経験談がベースになっているとは思うけれど、カーテンコールでたまに主演が口にする『千秋楽に向けてもっともっと高めていきます』的な言葉も好きではない。カンパニーの千秋楽はその日かもしれないけれど、観客の千秋楽がその日とは限らないということを分かってるのか?と思うのだ。
押し付けがましい言い方をするつもりはないけれど、舞台を見に来ている人はそれなりにスケジュールや仕事、お金の算段を付けて来ている。初日を見れない人も、千秋楽を見れない人も大勢いる。初日がスタートでそこからどんどん成長した千秋楽がゴールなのだとしたら中日は成長途中ということになるけれど、そんなことを言われてしまうと『ああこれは完成形じゃなかったんだな』と感じるし、気が立っているときなんかだと『途中過程のものを見に来たわけじゃないんだけど?』とすら思ってしまう。そういうテーマを大々的に掲げたものだったら納得はするけれど、多くの場合そうじゃないでしょう、と。そしてこれは大枠としての舞台だけではなくて、役者個人にも言えることだと思う。『まだまだできる』と『これからもっとやれる』の線引きってすごく難しい。できるんやったら最初からその力出してよって思うし、かと言って毎回毎回同じ水準のものを見せられてもってなるし。

見る側の問題ももちろんある、元々舞台ってそんなに毎日毎日足繁く通うものでもなかったんじゃないだろうか。だから、『同じである』ということはいつ見ても同じレベルのものを見せてもらえるということと同義だったはず。でも今はそうじゃなくて、役者や脚本家、演出家にそれぞれファンが付いて、自分の選択で何回も見る人が圧倒的に増えて、その中で『毎回同じってどうなの?』『公演期間中に成長するって何見せられてんだ』と思うようになってきたんじゃないかなと思うのだ。なぜなら、例に漏れず自分がそうだから。
役者に求めるハードルが高いのではないかと言われればそうかもしれない。でも、自分が選択して見ているとはいえ納得できないものに安くはないチケット代を払い続けるのは正直しんどいし、すごく不毛だなと思う。そういうところから連なってもう応援するの疲れたなと思ってしまう、という話もよく聞くし、わからない話では全くない。

推しや自分の応援している人がそういうタイプだから怒ってるというわけでもないし、それに近い何かを見たわけでもない。往々にして進化ではなく成長を見せようとするのはどちらかといえば制作側の力量に依ることの方が多いので、そういう制作に捕まらないことを祈るしかないのももどかしい。成長ではなく進化を、そしてできるならそれは自分が推している彼自身がもがいて自発的に進化しようとしているものであるということを見られる機会が今後もたくさん見られるといいなと思うしかできないのだ、ただの一介のファンだから。

ギリを見てきたよという話

名古屋 めっちゃ 雨
そんなわけでこんばんは、ただいま出張中のわたしです。暇なので新幹線の中で書いています。紫猫のギリ東京公演終わりましたねお疲れ様でした!個人的にはすごく好きだなーと思ったし、チケット増やしてでも見たい!と思える舞台に出会えて良かったなあと思っています。公演中に譲渡とか当日券ででもチケットを増やしたくなるのはいい舞台だと思っている。

ということで、東京公演も終わったので感想ともひとり言ともつかないものをダラダラと書きました。ネタバレを含むので以下隠しておきます~

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