Thirsty Thirty

生活、ときどきオタク

推しが退団した話

推しが、所属していた劇団を辞めた。オフィシャルには『退団』と出ていたが、残った方たちは『脱退』と言っていた。それはどちらでもいいが、とにもかくにも彼は、5/31に約5年半所属した劇団プレステージを辞めた。
正直に言うと、驚いた。退団発表された6名の名前を見てああやっぱりと思う人もいたし、えっどうして!?と思う人もいた。最後に推しの名前を見つけた時、なんとも言えない気持ちに襲われた。やっぱりともどうしてとも思わず、そうか、とだけ感じた。わたしの中ではプラスにもマイナスにも気持ちは動かず、ただ、そうか、としか思わなかった。『思えなかった』のではなく。

わたしが推しを知ったのはドリフェス!というPRJからだったので、彼が劇団に所属していることもその劇団のことも知らなかった。アミューズという事務所の中に劇団があることすらも知らなかったが、2名は外部の舞台で見たことがあったのであああの人たちだ、と思った記憶がある。
ドリフェスありきで知ったので、わたしは推しを知ってから1年強彼のお芝居を見たことがなかった。もっと言えば、劇プレでの推しの演技を見るまでには約2年を要した。それくらい最初の1年はドリフェスに全精力を賭けていたんだなということを今になって改めて感じるけれど、当時の自分はそれを喜ぶべきなのかどうなのか、とても複雑な気持ちで見ていた記憶がある。わたしはずっと、彼は『お芝居をしたい人』なのだと思っていた。だから、声のお芝居やダンスや歌をやることに対して彼はどう思っているのだろう、本当はお芝居がしたいんじゃないだろうか、と思っていた(結果的に、それは私が見誤っていたと数年越しに知ることとなるのだけれど)。

ストラボやイベントで『劇団の中における推し』を知っていってからは、少しずつ劇団自体も見るようになっていった。DDでも劇プレでもなんとなく推しの立ち位置は変わらなくて、そーまくんの位置はちょっとだけ違うなと感じつつも、『そういう感じ』なんだなと思うようになっていった。年下で、ちょっと抜けてるけどすごく可愛がられるタイプで、でも馬鹿にされるわけではなくしっかりといい役を勝ち取るタイプ。特にわたしが見たウラブー以降の劇団公演ではどれも役名付き、しかもわりと中心となる役ばかりだったから、彼は劇団においてある種のキーマンだったのではないかと思っていた。そして言い方は悪いけれど、『新しいお客さんを引っ張ってくる』ことを期待されていたんじゃないだろうかと感じていた。それは推しだけに限らず、DFに関わる3人がそうだけれど。
とは言え『似たような役が多いこと』を気にしているフシがあるのも感じていたし、それは劇団における立ち位置がそうさせているのかなとも思うようになっていた。声をイジられたり、年下という立ち位置的にイジられたりすることも多かったけれど、それが『イメージ』としてなんとなくついてしまっていて、それを打開できるほどの機会がなかったということでその状態がズルズル続いているのかな、と。
もちろんそれを劇団のせいにするつもりはまったくないし、そのイメージを打破できるほどの幅が本人にまだなかったからということもあると思っている。『思った以上に本人が気にしているな』というのは特に今年に入ってから彼の発言で感じていて、だからこそ、乙であったり相模といったような『これまでとちょっと違う役が続いて、それを自分のモノにしたという自信がついた今』だからこそ、彼は劇団を抜ける決心をしたのではないかなと思う。

そしてもう一つ、彼はドリフェスというPRJを通じて、彼自身の大きな目標を見つけたのではないかな、と思っている。このPRJでは、ファンが見ているだけでも大変そうだなと思うようなことをたくさんやってきた。行脚、ダンス、歌、声のお芝居、実際のお芝居、バラエティ、生配信、リアルイベント…多分それは、劇プレの中にいるだけではでき得なかったことだ。PRJのオーディションに受かったのは彼自身の技量があったからだし、こういうイベントを自分ごととして受け止めてモノにしたのも彼の技量があったからだ。
ここからは憶測になるけれど、彼はきっと『応援してくれている人に何かしらで応えたい』という気持ちが人より少し大きい。そしてそこに、『可能な限り近くで、直接伝わる方法で』という要素が入っている気もする(本人もファンもそれを求めていると分かるし、それが合致しているのはある意味奇跡だなと思っている)具体的に言えばリリイベとか、握手とかハイタッチとか、そういうのに抵抗なく参加できる人だと思っているけれど、じゃあそれが『劇団の中にいたらできないことなのか?』という気はしている。
これまでだってそうしてきたじゃないかと思うけれど、どうなんだろう、もしかしたらどこかで『劇団員なのに』という思いはあったのかもしれない。一人の俳優としてなら当たり前のイベントかもしれないけれど、『劇団員』として動くとなると…、という見え方があって、それをもしかしたら気にしていたのかもしれない。彼本人にということではなく、周りの視線としても。特に、彼がいま強くやってみたいと思っているだろう歌やダンスは、ミュージカル俳優でもない限り舞台上で求められることは多くない。じゃあミュージカル俳優になるか?と言われれば本人には全然そんなつもりはなさそうだし、『そちら』ではないんだろうな、というのも分かる。もしそうだったらごめんな推し、がんばってくれ。

劇団にいるということは、『ホーム』があるということだ。何においても劇団のことを最優先にしないといけないということではないけれど、これまでの劇プレの性質上、彼らには何かしらの役割が与えられていて、それをきちんと遂行することが求められている。小屋入りとか稽古場のバラシとか、他の舞台だったら自分たちでやらなくても良いことも求められる(他の舞台でももしかしたらやってるかもしれないけれど、頻度は低いだろうと思われる)
それはきっと、実家ぐらしとよく似ている。家にいれば、ある程度家のことをしないといけない。自分の意志で動くこともできるけれど、家族からの声を無視することはきっと難しい。社会人になってから実家ぐらしをしたことがないから予想でしかないけれど、自分ひとりだけで好きなように生きることは、一人暮らしに比べると少しだけ『枷』ができるようなものなんじゃないかとわたしは思っている。だから家を出る決意をして自分だけで歩いていこうというのは、ある種自然な流れなんじゃないだろうか。

この決断をいいとか悪いとか言うつもりはこれっぽっちもなく、判断するつもりもまったくない。誰かの決断を肯定したり否定できるのは、その人自身でしかないからだ。劇団という家がこれまで『守ってくれていた』のかは伺い知れないけれど、家を出る決意をしたのであれば、自分についている看板を外すのであれば、自分だけでどうにかしないといけないことだってきっとたくさんある。
当然そんなの分かった上での決意なのだろうから、誰かにそれを否定する権利なんて本当にひとつも、これっぽっちもない。何も知らない人間が、否定できるわけがない。だとしたら、これまでと変わらず応援しようとわたしは思った。なにかが変わるかも知れないし、何も変わらないかもしれない。それならそれでいい、もしかすると『わたしの』何かが変わるかも、変わらないかもしれないんだから。

家族だ、仲間だと、『家』は言ってくれている。本人としては戻りたいという気持ちは無いかもしれないし、そういう気持ちで安易に抜けたのだったらふざけんなと思うけれど絶対にそうじゃないんだろうということはこれまでを見ていればなんとなく分かるので、これからの行く末を見ていたいと、今思えるのはそれだけだ。推しも、劇団も『岐路』に立って、それぞれが新しいフェーズを迎えている。ハードルは上がるけれど、そうであろうこともきっと彼らはとっくに知っている。だから、6月の主演舞台(もう『外部舞台』じゃないんだな)も9月の劇団の本公演も、新しい気持ちで見られるだろうということが楽しみだ。